小枝純子(こえだ じゅんこ)
6歳からダンスを初め、18歳で第一助手となり、
舞台に立ちながら、講師・振付師としても活動。50以上の舞台を経験。
その後振付師という道に絞り、衣装やメイクなど
トータル視点で舞台と関わることに魅了されていく。
34歳で舞台の世界を引退し、
独学で革の勉強をはじめる。
37歳で革のオーダ販売を立ち上げ。
39歳で会社合併。
41歳で、会社代表となる。
今までに生み出した作品は、1,000点を超える。
革に触れてきた時間は、計り知れない。
1978年6月13日生まれ。
私が、はじめて本革に出会ったのは小学校のランドセル。
学校規定の黒の本革のランドセルでした。
1年生の時に、6年生のランドセルを見ていると、質感が違うことに気付きました。
単に使い混んでんでいることでの違いではなく、
背中にしっくりと馴染んでいたように見えた。
触り心地も違っていて、
「本革って普通の素材ではないのかもしれない」
そんな疑問をもったのがきっかけでした。
ある日雨に濡れると、ランドセルから革の匂いがきつくなった。
私は、その匂いが好きで、
ランドセルカバーをしないまま雨に濡れ、教科書がぼろぼろになったこともありました。
何もわからないながらに、6歳の頃から本革に触れ、
気づけば、革製品の魅力にのめり込んでいきました。
25歳を過ぎた頃から、自分好みのデザインの革製品に出会う事が減ってきました。
(何故、デザインがどれも同じ感じなの?)
(何故、革のオーダーってとてつもなく高いの?)
(本革って一生ものなのに、何故、糸が切れたらスルスル抜けていくの?)
疑問ばかりが重なり、ついに自分の革製品を分解しては、
組み上げていく1人遊びをはじめました。
35歳になった頃に、独学でノウハウを学びながら、いろんな革製品のお店に通いました。
革職人の方の話を聞いたり、革工房のお店へも行き、数々の作品と触れていきました。
自分好みのものに出会えなかったからこそ、
「自分で作りたい」と思える自分に出会えました。
【私の作りたいものは、まだ世の中にはない】
沢山の革製品に出会い、色々なことを学んでいくにつれて、強まっていった想い。
その想い一つで、37歳で革のオーダー製品のお店を立ち上げました。
当時の屋号は「カメレオンハット」でした。
カメレオン・・・自分の色を持ちながら、環境に応じて色を変化させる事ができる魅力。
ハット・・・昔から、帽子好きな私。
顔は変わらないけれど、被ることによって、自分が変身できたように感じる魅力。
芯となる自分がいる。
芯となる最高の革がある。
変化する事、変化させていく事への魅力をお客様と味いたかった想いのはじまりが、
最初の屋号「カメレオンハット」でした。
私が作りたいものを作るために、沢山のこだわりを取り入れました。
まず革は、一頭買い付け。
これにより通常よりもコストダウンができています。
また、ミシンを一切使わない。
手縫いだけにこだわりをもち、強度を最大限にあげています。
今入手できない革は「無い」と言えるかもしれません。
最強の革の卸業者様との繋がりを持たせていただいています。
***
独学という道を選び
(何もない)(誰もいない)
からのはじまりでしたので、
たくさんの壁にぶち当たりました。
革業者さんとの繋がりですら一切ない。
信用という実績もないまま、受け入れてもらうまでの時間は、簡単ではありませんでした。
「真っ直ぐに想いを伝える」
カッコ良いエピソードなんて、何一つありません。
ただ、これだけを
毎日毎日続けていく事を
繰り返す日々が、今に繋がっていきました。
立ち上げから4年後の2019年、あべのハルカス近鉄での催事に初出展。
おかげさまで176のブランドの中で、売り上げ1位となりました。
そこから少しずつ、全国からもオーダーをいただけるまでに広がっていき、
お客様の存在があったからこその展開に、感謝、感謝の日々でした。
2020年、屋号をカメレオンハットから変更し、ついにERDE.が誕生。
「美×命×時=ERDE.」
というコンセプトを掲げ、
より一段洗練されたレザーブランドとして在るべく、
今も日々精進を続けています。
私の「作りたいもの」が、
お客様の「出会いたかったもの」と一つになる喜びを、
いつも感じさせていただいています。
どこにもない、貴方だけの革製品をお作りさせていただきます。